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最高裁判所第一小法廷 昭和44年(あ)512号 決定 1971年10月07日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人寺嶋芳一郎、同畠山保雄、同田島孝、同明石守正の上告趣意(第一)は、憲法三七条違反をいう点もあるが、その実質はすべて単なる法令違反、事実誤認の主張であり、同上告趣意(第二)は、憲法三一条、一八条違反をいう点もあるが、その実質は、すべて単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

なお、原判決が、「上級事業用操縦士の技能証明を有し、旅客運送を業務とする航空機の機長として、乗客ならびに乗務員の生命の安全を掌握し、航行の際における一瞬の過失は、一挙に多数の生命を失わせる結果を招く危険業務に従事するものが、その資格要件に属するG・C・A着陸方式を、訓練未熟をもつて期待し得ないとして、気象状態不良の場合に出発空港へ帰投しなかつたことの言訳とすることは許されないというべきである」と説示し、また、「被告人は、上級事業用操縦士として、路線による旅客運送業務に従事し、乗客および乗組員の生命を掌握している機長として、気象状態不良等緊急事態において地上からの誘導によるG・C・A着陸能力がないという主張は許されない。」と説示していることは、所論が上告趣意(第一)の第二点および上告趣旨(第二)の第一点中に指摘するとおりであるが、原判決は、前記各説示に続いてその判示する理由によつて、被告人は「G・C・Aによる着陸能力がないものとは認めがたい。」としたうえ、「計器による雲中飛行の能力はあるけれども、G・C・Aによる着陸の能力はないから、大阪国際空港に安全に引き返すことは期待できないという所論は採用できない。」と判断しているのであるから、被告人に大阪国際空港に引き返すべき義務上の注意義務があるとした原判決の判断を誤りとすることはできない。

よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。(下田武三 岩田誠 大隅健一郎 藤林益三 岸盛一)

弁護人の上告趣旨(第一)

第一点 <省略>

第二点 原判決は本件における業務上の注意義務の標準についての解釈を誤つたものである。

一、原判決は、(大阪空港に引き返す場合、被告人は上級事業用操縦士として、その技術は、一般的計器飛行は十分可能であるが、G・C・A着陸の訓練は不十分な段階にあつて、レーダーによる誘導等の非常措置を受け、管制塔の指示に従いながら安全に着陸することは期待できなかつたものであるから、層雲を突破するよりも、はるかに危険度が大きいものであつたと主張するから判断する)として、

「業務上の過失犯については、人の生命、身体に対する危険を伴う業務に、従事する者に、特に重い注意義務を課する趣旨であるから」、「その注意義務の内容は、客観的標準によるべきものであつて、行為者の主観的標準によるべきものではなく、行為者に業務上必要な注意義務をはたす能力がない場合でも、その責任は阻却されないと解すべきである。」として、「上級事業用操縦士の技能証明を有し、旅客運送を業務とする航空機の機長」たる被告人が「その資格要件に属するG・C・A着陸方式を、訓練未熟をもつて期待しえないとして、気象状態不良の場合に出発空港へ帰投しなかつたことの言訳とすることは許されない」としている(原判決第五六丁裏面五行目―第五七丁表面六行目)。また「上級事業用操縦士は……『G・C・Aによる着陸』技術試験に合格することが必要であるから、通常の上級事業用操縦士を標準とするときは、G・C・Aによる着陸の技術がなかつたものとはいえない」(原判決第五七丁裏面一〇行目―第五八丁表面四行目)、「被告人は、計器飛行の技倆を有し、G・C・Aによる着陸技術の実地試験に合格し、しかも約三〇〇〇時間の飛行経験を有する者であるから、G・C・Aによる着陸能力がないものとは認め難い原判決第六三丁表面六行目―九行目)とし、さらには第二審証人有働武俊(全日本空輸株式会社操縦士)の『……G・C・A進入には……二、三〇回程度の練習を必要とする』との供述を排斥して、「被告人は、上級事業用操縦士として、路線による旅客運送業務に従事し、乗客および乗組員の生命を掌握している機長として、気象状態不良等緊急事態において、地上からの誘導によるG・C・A着陸能力がないという主張は許されない」(原判決第六二丁裏面三行目―第六三丁表面五行目)としている。

しかしながら右の原判決の所論には以下に述べるように、本件における業務上の注意義務を解釈するについての幾つかの明白な誤りがある。

二、まず原判決によれば、業務上過失が加重犯であるがゆえに注意能力の標準については客観主義でなければならないとしているが、これは「当為」の標準と「注意能力」の標準とを混同した論理である。「当為」の標準が客観的であるべきことはそれが法の内容をなすものである以上当然のことであるが、業務上過失に「より重い注意義務」を課するという趣旨は「当為」の標準についてより高度のものを要求されるということであつて「注意能力」の標準を通常人におくか行為者におくかということは無関係である「注意能力」の標準が客観的であるべきだとしても、それは業務上注意義務であると否とに論理上結びつくものではないのであつて「業務上過失犯については……特に重い注意義務を課する趣旨であるから……客観的標準によるべきものであつて行為者の主観的標準によるべきものではなく」という原判決の論旨は誤りである。

三、原判決は、上級事業用操縦士はG・C・Aによる着陸を資格認定の際の試験科目として課せられているのであるから、通常の上級事業用操縦士を標準として考えれば、G・C・A着陸技能がないとは言えず、また被告人自身その試験に合格しているものである以上その能力がないものとは認め難いとし、資格要件に属するG・C・A着陸方式について訓練未熟であるとして、気象状態不良の場合に出発空港に帰投しなかつたことの言訳とすることは許されないという。

しかしながら、ある科目が試験科目であるということとその合格者が当該科目に熟練していることとは必ずしも一致しない。自動車の運転免許試験においても自家用試験と営業用試験とでは同一試験科目についてもそこに要求される技倆の程度には差異があるのであるが、このことは航空従事者試験の場合にも同様であつて、同じ「G・C・Aによる着陸」という試験科目についても上級事業用操縦士の試験において要求される技能程度とより上位の定期運送用操縦士の試験において要求される技能程度との間にはおのずから差異があるのである。上級事業用操縦士は定期航空運送業務に機長として携わることは認められないのであるが(航空法別表)、その従事する不定期航空運送業務等においては低視界着陸を行わざるをえない場合は少ないのであつて、視界の良否に拘らず運航の定期性維持を強く要請される定期航空運送業務の機長資格としての定期運送用操縦士のように高度のG・C・A着陸技能は上級事業用操縦士には要求されていない。いわゆる一通りこなせればよいのであつて熟練の域に達することは上級事業用操縦士としては求められていないのである。

原判決はG・C・Aによる着陸方式について訓練未熟であることをもつて出発空港に帰投しなかつた言訳とすることは許されぬというが、「乗客および乗組員の生命を掌握している機長」として低視界の出発空港に帰投するか否かの判断をなすにあたつて自らのG・C・A着陸練度不充分であることをも判断の基礎事実の一として考慮に入れるのは当然のことであつて、出発空港に帰投すべきであるとまず断定した上で、G・C・A着陸技能の未熟は言訳にならぬときめつける原判決の態度は本末を顛倒したものといえる。

およそ注意能力の標準を通常人におく場合にも、判断の基礎となる事情については主観的要素をも加味すべきである。すなわち、通常人ならば知りえたであろう客観的事情に、行為者が特に知りえた主観的事情を加味し、それらの事実を基礎とした上で通常人を基準として予見ならびに回避の可能性が論ぜられるのである。本件において被告人が機長として、G・C・A着陸を賭して大阪空港に帰投すべきか層雲を突破して徳島空港に向うべきかを判断するにあたり、気象条件、地上設備とともに自己のG・C・A着陸技倆をも考慮に入れ、最も安全と信じた徳島向け飛行継続を選択したことは、それなりに低視界着陸に伴う危険についての予見義務および回避義務を尽したことになるのであつて、この場合G・C・A着陸技倆不十分ということは注意能力の主体に関する主観的要素ではなく、注意義務の内容決定上の基礎となる当時の事情に関する主観的要素である。熟練した定期運送用操縦士にとつても低視界着陸は決して容易なものではないことについては、昭和四一年三月四日東京国際空港におけるカナディアン・パシフィック機事故、昭和四三年一一月二二日(現地時間)サンフランシスコ空港における日航機事故に徴しても明らかであろう。

原判決は「客観的基準」に拘泥するあまり、被告人のG・C・A着陸技倆不充分という事実を注意能力の主体としての行為者本人の能力としてのみ捉え、機長の判断の当否を論ずるにあたつて当然勘案すべき「当事の事情」中の主観的部分であるという面を看過して、結局注意義務の解釈を誤るに至つたものである。<以下略>

弁護人の上告趣意(第二)

第一点<前略>

(一) 過失の解釈に関する所謂「客観主義」について

(1) 原判決はその理由中において、「元来、刑法上過失犯における注意義務の標準について諸説があるが、業務上の過失犯については、人の生命・身体に対する危険を伴う業務に従事する者に、特に重い注意義務を課する趣旨であるから、その注意義務の内容は、客観的標準によるべきものではなく、行為者の業務上必要な注意義務を果す能力がない場合でも、その責任は阻却されないと解すべきである。したがつて、上級事業用操縦士の技能証明を有し、旅客運送を業務とする航空機の機長として、乗客ならびに乗組員の生命の安全を掌握し、航行の際における一瞬の過失は、一挙に多数の生命を失わせる結果を招く危険業務に従事する者が、その資格要件に属するG・C・A着陸方式を、訓練未熟をもつて期待し得えないとして、気象不良状態の場合に出発空港へ帰投しなかつたことの言訳とすることは許されないというべきである。」(判決書五六丁裏〜五七丁表)といい、また「……被告人は、上級事業用操縦士として、路線による旅客運送業務に従事し、乗客および乗組員の生命を掌握している機長として、気象状態不良等緊急事態において、地上からの誘導によるG・C・A着陸能力がないという主張は許されない」(同六二丁裏〜六三丁表)と謂う。

(2) 右の判断は、第一審判決がその「理由―罪となるべき事実」の中で、本件飛行機が友ケ島附近にさしかかつた当時の情況事実を認定の上、「……このような場合、航空運送事業に従事し、有視界飛行方式に則つて、その飛行機を操縦している機長としては、航空機並びに乗客等の生命身体に生ずる危険を避けるため、当時の大阪国際空港の地上視程がかなり不良であつたとしても、緊急事態による着陸は可能であつたのであるから、同所で徳島方面へ変針して飛行することを断念し、……レーダーによる誘導等の非常措置を受け、同管制塔の指示に従いながら引返し、安全に同空港に着陸して、事故を未然に防止すべき業務上の注意義務がある……」としたことに対し、当弁護人等が、主として、

(イ) 当時の大阪空港並びに同空港までの気象状況、

(ロ) 計器飛行方式で帰港する為の前提となる通信方法、

(ハ) 帰港した場合の着陸の難易―特に被告人の所謂G・C・A着陸能力(技倆・経験・自信)の有無、

(ニ) 同空港の設備の良否

の四点を取上けて、これらが何れも否定的な状態下においてもなおかつ引返義務を認めることはできないこと、即ちかかる状況を含めた当時の本件友ケ島近辺における諸条件の下では、徳島に向けた前進こそが適切な判断ないし措置であることを反論したことに対する原審裁判所の判示である。

ここで「過失」として論ぜられているテーマはあくまで「前進」か「引返し」かのその場における機長の措置、判断の適否である。つまり第一審判決が本件の具体的事案において定立した引返すべしとの注意義務の適法性である。従つて、G・C・A着陸能力はそれ自体が過失認定の内容ではなく、機長の措置・判断の前提たる条件である。

(3) ところで過失の判断に関して、所謂主観説(古典派)、客観説(近代派)を軸として諸説が展開されているが、その判定基準として当該個人でなくその属する業務者一般を基準とする客観的評価が下されるべきことは是認されてよいと考える。しかしここで客観的評価ということは、標準の客観性を指すもので、その判断の前提事実としての主体的諸条件と無視するものではなく、従つて判断の前提事実には、外界に存する純枠に外部諸条件と共に、行為者にかかわる主体的諸条件も亦与えられた前提事実として所与の条件を構成するものといわなければならない。そしてかかる内外の諸条件下において、業務者一般の水準に照らして如何にあるべきかが客観的に価値評価されるべきものである。

原審判決は主観的判断と主体的条件につき概念の混同をおかし、主体的条件を考慮することが直ちに判例の立場(大審院判決 昭和四・九・三 裁判例(三)刑二七頁。最高裁例(三)刑二七頁。最高裁判決 昭和二七・六・二四 判例体系三〇巻一一二〇頁)に違背するものと誤つて速断したものである。

何となれば、若し原審判決の見解に立脚しその論理を徹底させるならば、仮に被告人にG・C・A着陸能力が皆無であつたと仮定した場合においても、客観説の立場上かかる個人的事情は言訳とはなりえず、判決の命ずるところに従つて大阪国際空港にG・C・A着陸を敢行して自爆せねばならぬことであろう。かかる不正な結果が是認される筈はない。原審判決は、刑法法規の解釈に関し決定的な誤りをおかし、かつかかる誤つた精神ないし姿勢で判断した本件判決は当然破棄されるべきものである。

(4) これを本件に即して言えば、本件の友ケ島附近において果して徳島に向けて飛行すべきかそれとも大阪空港に引返すべきかを判断するについては、外界の諸条件(気象・通信状況・空港設備等)と共に被告人にかかわる主体的諸条件(G・C・A着陸能力・続行経路に対する経験等)を綜合的に把握し、これらの所与条件下において被告人自身の知能ないし判断力ではなく、操縦士一般の判断水準において、前か後か何れかの途を選択すべきであり且つ選択し得た筈であると評価することが過失判断の課題であるといわなければならない。かかる観点に立脚した上で、操縦士である以上疑いもなく引返しの道を選択すべきであつたに拘らず、被告人のみがその選択を誤つて飛行続行を選んだとすれば、これは被告人の選択判断の誤りとして非難されなければならないだろう。この場合被告人に選択知識ないし能力に欠けるところがあつたと仮定しても、それが操縦士一般の水準に達せざる限り、原則的には依然として非難を免れる訳にはゆかないであろう。

もつとも当弁護人等は、この場合でもなおかつ、被告人がかかる選択能力を失い若くは発揮できなかつた事情につき審理と評価を加え、なお免責不可能の場合にのみはじめて刑事的に有責であると考える。

即ち学説にもこのように行為者の具体的個別的能力と関連せずに、過失行為の客観的・一般的吟味を行うべきである。そして、客観的過失の存在があきらかになつたのちにはじめて、行為者の個人的主観的事情と関連させて、客観的過失行為の責任阻却を検討すべきである。たとえば医者が疲労のために手術に失敗して患者を死亡させた場合、当該状況の下で客観的・一般的な注意義務を一般にはたしえたときには、客観的にみると違法な過失行為をみとめうる。しかし、疲労していたが手術を引受けたということが、具体的状況のもとにおいて主観的には非難することができないのであれば、客観的過失を認めることができるとしても、主観的過失をみとめることはできない」(荘司邦雄現代法律学全集二五・刑法総論二六八頁)とする。

従つて若し被告人につき、一般の業務者に求められべき水準なるものにつき何らかの欠けるところがあつたと仮定しても、更にその理由、例えば当時の試験制度、航空局(国家)の方針、またかかる方針がとられたことの実質的理由、等々の吟味をまつて、はじめて主観的にも客観的にも本来の意味の過失責任が問えるものであると考える。従つてかかる点に審理も判断も加えずに問責することは法令の解釈の誤りとして違法であると信ずる。

<後略>

参考・一審判決(抄)

主文

被告人を禁錮二年に処する。

但し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は、証人菅正に支給した分除き、その余の全部を被告人の負担とする。

理由

<罪となるべき事実>

被告人は、昭和一六年四月、旧陸軍少年飛行兵となり、旧東京陸軍航空学校及び旧熊谷陸軍飛行学校で飛行機の操縦技術を習得し、終戦まで軽爆撃機の操縦をしていたが、戦後、昭和三一年頃から、時折り、瀬戸内航空株式会社で飛行練習をした後、昭和三三年四月一〇日、事業用操縦士の技能証明を受け、昭和三五年一一月一日、当時、不定期航空運送事業等を営んでいた旧日東航空株式会社(昭和三九年四月一五日富士航空株式会社及び北日本航空株式会社と合併して日本国内航空株式会社となる)に入社し、昭和三七年七月二三日、上級事業用操縦士の技能証明を受け、同年一一月三〇日、右会社所有の飛行機D・H・C13型アツターの機長、更に、昭和三八年三月一日、グラマン・マラードの機長(但し、頭初は陸上基地から陸上基地へ飛行する場合のみの限定を受けていたが、同年四月一日から無限定)となり、その間、右会社の不定期航空運送路線に就航する飛行機の操縦業務に従事し、既に、飛行時間約三、〇〇〇時間の経験を有し、右会社の大阪、徳島間不定期路線にも、機長として多数回にわたり就航していたものであるが、昭和三八年五月一日、右会社の飛行命令(乗務割)に基ずき、大阪発、徳島行第一便である水陸両用単発飛行機デ・ハビランド式D・H・C13型アツター(JA三一一五機)の機長として、機長補助者野口剛(当時三七年)と共にこれに乗務し、乗客岩城覚(当時四八年)、横井治(当時三九年)、仲野孝之助(当時三八年)川辺健男(当時三三年)、板東幸男(当時三二年)、久保添晴意(当時二九年)、辰巳政保(当時二六年)、吉木玉江(当時二八年)、ウオルター・エス・マーダー(当時六二年)の九名を乗せて、大阪国際空港を出発することになつたので、同日午前七時四五分頃、大阪航空保安事務所に対し、「大阪、徳島間を往路の巡航高度二、五〇〇呎、真対気速度時速一一〇哩で、有視界飛行方式により就航する」旨等の飛行計画を通報し、かつ、同日午前七時現在の右空港の地上視程が、有視界飛行方式による離陸許容視程三哩未満の視程2.5哩であつたので、特別有視界飛行方式による離陸の承認を求め、同空港管制塔より「高度一、五〇〇呎またはそれ以下で有視界飛行状態を維持し、南西に五浬飛行して大阪航空交通管制圏から離脱し、有視界気象状態になつたら報告せよ」との管制承認を得て、午前八時一一分、同空港を磁方位三二〇度の方向に離陸し、右管制指示どおり飛行して、西宮市鳴尾附近上空で右管制圏を離脱し、午前八時一六分頃、堺市西方海上附近上空に達したが、その頃、高度二、〇〇〇呎で視程三哩となり、有視界気象状態となつたので、右管制塔に対し、超短波無線電話送信機で、その旨の通報をなした上、同管制塔の承認を得て、その管制を離れ、大阪湾東海岸沿いに南下するうち、午前八時二四分頃、岸和田市西方海上附近上空で、右会社大阪国際空港営業所から同空港の地上視程が1.5哩になつた旨の通報に接し、同空港の視程が出発時よりかなり悪化していることを知り、引き続、右会社運航規程に定める最低安全高度二、〇〇〇呎、制限視程三哩を維持しながら飛行を続けて、大阪府泉南郡岬町淡輪西方海上附近上空に達したが、その頃から、前方の層雲のために視程が狭まってきたので、この層雲を避けて右制限視程三哩を維持するために高度二、〇〇〇呎から徐々に高度を下げながら、飛行経路上の目標である和歌山市加太所属の友ケ島へ向けて飛行を続け、午前八時三九分頃、右最低安全高度をはるかに下回る高度五〇〇呎で、右友ケ島の地ノ島上空に達したが、淡路島及び飛行経路上の目標である兵庫県三原郡南淡町所属の沼島は、一面、層雲に覆われて視認できず同方向の視程が約一五哩であつたため、徳島方面への通常の変針点である右友ケ島上空で変針せず、視界の良好な磁方位一八〇度の方向に機首を向け、沼島方面の雲の状況を窺いながら約一分間南下してみたのであるが、沼島、徳島方面は、依然として、層雲と霧との混合した状態で視界が妨げられ、視程わずかに一哩足らずである上、その状態がはるか南方にまで続いていて、その間に雲の切れ間は認められず、雲と海面との間にも視界の開けた個所は全く見当らず、加えて、右淡輪西方海上附近及び友ケ島附近上空で認めた海面の白波の状態から一〇ノットないし二〇ノットの南風が吹いていると判断したのであるから、同所で沼島、徳島方面へ変針して、そのまま同方向に飛行すれば、間もなく、層雲中に突入して視界を全く失い、飛行機の現在位置及び飛行方向を的確に把握することが極めて困難となり、かつ、前記のように判断した南風の状況により当然推知することのできた当時、友ケ島方面から沼島方面への飛行経路をも含めた附近一帯に亘り吹いていた右の偏流によつて、被告人が想定した沼島附近上空を通過するとの飛行経路よりも、かなり北方へ流されながら飛行することになる結果、その北方にある淡路島南岸の山腹へ衝突する危険が多大であり、これを予知できたのであるから、このような場合、航空運送事業に従事し、有視界飛行方式に則つて、その飛行機を操縦している機長としては、航空機並びに乗客等の生命、身体に生ずる危険を避けるため、当時の大阪国際空港の地上視程がかなり不良であつたとしても、緊急事態による着陸は可能であつたのであるから、同所で徳島方面へ変針して飛行することを断念し、当時、まだ比較的視界の良好であつた東側の海岸線沿いに、途中、有視界気象状態を維持しながら、右空港に帰投すべく引き返し、その間、有視界気象状態を維持して飛行することが困難な気象状態になるおそれがあつた場合には、同空港管制塔に対し、緊急事態に立ち至つた旨の通報をして、レーダーによる誘導等の非常措置を受け、同管制塔の指示に従いながら引き返し、安全に同空港に着陸して、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに拘らず、被告人は、これを怠り、同日午前八時三九分現在の徳島飛行場の地上視程が六哩であるほか、同飛行場の気象状態が極めて良好であつたことと、鳴門海峡に至るまでの間を一時的に視界を失つて層雲中を飛行しても、同海峡に達すれば、通常、同海峡は視界が良好であることから、その後は無事徳島飛行場に飛行し得るものと速断し、安全な雲中飛行をするに充分な計器類の搭載装置もなく、かつ、計器飛行方式による飛行が許されていない同機にたまたま搭載装置されていた自動方向探知機等の計器のみに頼つて、右層雲を無事に通過できるものと軽信し、同所において、徳島無指向性無線標識施設の周波数に合わせていた自動方向探知機の指針が零度を示すように変針して、磁方位二五〇度の方向に機首を向けて三、四分間飛行し、同機を層雲中に突入させて視界を失い、かつ、折から、同所附近一帯に吹いていた平均約一八ノットの南風のために、北方へ流されながら、これに気付かず、数分間では到底偏流を測定することが不可能な自動方向探知機等の計器のみに頼つて、右層層雲中を視界を失つたまま飛行した過失により淡路島南岸の山腹を認めることができず、同日午前八時五六分頃、同機を兵庫県三原郡南淡町灘吉野所属の諭鶴羽山系通称重助山の標高約三〇〇米の山腹に衝突炎上させ、よつて、同飛行機(帳簿価格三、二〇七万四、二一五円相当)を破壌すると共に、前記乗客岩城覚ら九名を焼死させ、かつ、前記野口に対し、加療約四ケ月半を要する左腸骨、左第七ないし第一〇肋骨々折等の傷害を負わせたものである。

(法令の適用)

被告人の判示行為中、各業務上過失致死、同傷害の点は刑法第二一一条前段、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号に、航空法違反の点は航空法第一四二条第二項に各該当するが、右は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五四条第一項前段、第一〇条により犯情最も重いと認められる岩城覚に対する業務上過失致死罪の刑に従い、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を禁錮二年に処し、なお、情状について更に考えるに、先ず、本件過失行為により惹起された法益侵害の結果は重大である。すなわち、幸いに判示傷害に止まり、既にそれも全治して航空機操縦業務に従事している当時同乗乗務していた同僚野口剛に蒙らせた傷害や勤務先会社所有の飛行機を破壌した点はともかくとして、一般乗客九名をして、惨状目を覆わせるむざんな焼死体に化さしめて各その一命を失わせるに至つたこと、しかも、その殆んどが、人生最高の活躍期に当る壮年ないし壮年前期の年令層に属していて、それぞれ、実業に従事していた人々であつて、社会的にも家庭的にも貴重な地位にあつた者であり、当該被害者の遺憾の情は固より、その遺家族、所属企業勤務先関係者等の物心両面にわたる被害感情の深刻さは想察に十分なものがあること。

次に本件過失の態様は判示のとおりであつて、必ずしも軽度のものとは言い難いものであることのほか、近時、避け難い社会活動の迅速化に伴ない、高速交通機関としての飛行機の利用度とその安全性に対する要請が極めて高度化してきている際、本件のような過失行為により、これが利用について強い不安感を招来した影響等をも併せ考えると、被告人の責任は重いといわなければならない。

然しながら、他面、被告人は、自己の過失によるとはいえ、自らも重傷を負い、現在なお若干の後遺症を遺こす身となつているほか、当時以来その責任の重大さに心を痛め、焼死被害者と運命を共にしなかつたことを却つて悔むような心情さえ抱いて、深く自責し、被害者の冥福を祈りつつ謹慎の生活を送つていること、又、その家庭内においても、本件事故を契機として重篤なノイローゼに罹つた愛妻を昭和三九年七月に失うに至り、その後は高校在学の唯一の娘を抱えながらせきりようの日々を送つておる現状であるうえに、勤務先においても、乗客輸送機の操縦士の職を退き、少からざる減収となる第二線業務に甘んじて誠実にそれに励精していること、一方被告人の雇傭会社も本件について、その責任を深く覚り、焼死被害者中八名の遺族との間には既に相当額の弔慰金、賠償金等を提供して円満な示談解決を遂げ、残る被害者一名の遺族に対しても、同様誠意ある示談解決の方針を定め、その成立に努力を重ねてきているものであること、更に、被告人の本件過失の態様が前示のとおり必ずしも軽からざるものであるとは言え、もともと、被告人は本件の際、飛行機操縦士として、その意識面に明確に浮かばせていたか否かは別として、他の一般の交通機関の運転者等とは異なり、自己の一命を賭けてその操縦に当つていたものであることは疑いのないところであつて、全くの無謀操縦を敢行したものでは決してなく、結局、安全な雲中飛行を托するには、幾多の悪条件により、到底信頼をおくことのできない自動方向探知機等の計器類の指示を、慎重な判断考慮を欠いて軽率に過信した結果、判示のような判断のもとに雲中の盲飛行を敢行して本件事故を招いたものであることなど諸般の情状を考え併せると、被告人を実刑に処することは酷に失すると考えられるので、前記刑の執行はこれを猶予するのを相当と認め、刑法第二五条第一項を適用して、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して証人菅正に支給した分を除きその余の全部を被告人に負担させることとする。(昭和四一年五月二日神戸地裁第二刑事部)

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